雇用保険の始まりはいつから?歴史について

2024.10.24 更新
雇用保険はいつ始まった?なぜ始まった?
失業者や育休を利用する人などを支援するためにある雇用保険。会社員や長時間働くアルバイトの方などのように会社に雇われているひとは、ほぼ必ず雇用保険に関わります。そんな雇用保険がいつ始まったのか?また、なぜ雇用保険が必要になったのか。この記事では雇用保険制度の歴史について簡単に説明していきます。
※学生向けの教科書(保険など)については税金や保険を学ぼうを参照。

1947年に失業保険がはじまる
失業保険ができたのは戦後から

戦前の日本には失業者の生活を支えてくれるような保険はありませんでした。

1920年代や1930年代、世界や日本で恐慌が起こって景気が悪くなったときには失業者のための保険の創設を提案したのですが、そのときは制定されませんでした。


そして戦後になると、GHQからの指令の影響を受け、失業保険の制定の検討が開始され、「失業は国家が責任をもって救済する必要がある」という考えでまとまり、1947年に失業保険が創設されました。
※このときはまだ、現在の「雇用保険制度」とは内容が違います。

では次に、雇用保険制度の創設までの流れについて下記で説明していきます。雇用保険の考えが出始めたのは高度経済成長の時期です。


高度成長の後期に雇用保険制度の考えが出始める
失業後のケアだけじゃない保険制度の創設が考えられ始めた

そして、日本の高度成長(1954年~73年)によって急速に変化する社会に対応するために失業保険は何度も改正されました。

そして高度成長の後期になると、失業保険に「雇用促進」「失業予防」事業を付けた「雇用保険制度」を創設することを考えはじめたのです。


このときの雇用の状況には「日本の成長にともなう離職者の発生」「若者の技能系職種の敬遠」「中高年齢の就職難」などの問題が生じていました。

また、「若者が技能系の職を避けるのはそれを訓練して育てる環境がないからであり、このことが中高齢の再就職を難しくさせている」という考えだったため、上記の問題に対処するために失業者のためだけではない雇用保険制度の創設を提案したのです。


では次に、雇用保険制度が反対され、それが一転した理由ついて下記で説明していきます。

1974年に雇用保険制度が創設される
雇用状況の悪化によって創設された

「失業者のためだけではない雇用保険制度」の創設を提案するのですが、「失業保険は失業者のためのものであり、それ以外は国が支えてくれ」という反対意見がでたため、雇用保険制度の創設は見送られてしまいました。


しかし、1973年のオイルショックにより日本の雇用状況が悪化したこともあり、反対意見は一転し、1974年に雇用保険制度が創設されることとなったのです。では、なぜ反対意見が一転したのか。


反対意見が一転した理由として、新しく創設される雇用保険には雇用調整給付金制度があり、オイルショックによる雇用状況の悪化を阻止するためにはこの制度が必要だったため、反対意見が一転することになったのです。
※雇用調整給付金とは、景気の悪化などにより事業の縮小を余儀なくされ、従業員のために雇用調整をしたときに事業主に給付金が支給される制度。最近では、コロナウイルスが流行して経済が大打撃を受けたときに活躍しました。

何かをきっかけに雇用状況は変化する

ここまで説明したように、戦後に創設された失業保険は社会の変化とともに何度も改正されました。


そして、高度成長の後期には「失業者のためだけの保険」から「雇用促進・失業予防」を盛り込んだ「雇用保険」が提案されることとなりました。

雇用保険の創設は一時は反対されるも、「オイルショックによる雇用状況を改善するため」に雇用保険制度は創設されることになったのです。
※2020年に流行したコロナウイルスによって、雇用保険制度(雇用調整給付金)はとても活躍しました。
※雇用保険の保険料などについては雇用保険とは?を参照。
※参考文献:横山和彦, 田多英範, 日本社会保障の歴史, 1991年
※年金制度については年金制度の始まりはいつから?を参照。
※小中学生に向けた内容については雇用保険ってなに?を参照。
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